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  • れな

読書は本当に有意義なのか?

「本を読め」とよく言います。

知識を付け、社会を知り、読解力を付けるうえで、たしかに読書は役に立ちます。スピリチュアルな話をするなら、読書はイエローのオーラを増やすことに役立ちます。

しかし、現代社会において「本を読め」と勧めることは、必ずしも正しいとも言い切れません。どういうことなのでしょうか?



出版業界は腐敗し、役に立たない本が増えている。

本を読むことが「役に立つから」と思っているなら、それは少し慎重になったほうがよいです。

昔は、たしかに役に立つ文章ばかりが、編集者に認められ、本として出版されました。

しかし現代では、出版業界はあからさまに商業主義に落ちぶれています。

編集者たちは、「役に立つから」ではなく、「売れそうだから」という理由で文章を選び、宣伝に力を入れ、売ります。

現代日本で本屋に並ぶ本には、あまり役に立たないものも多いのです。充分な検証もされていない、でたらめな情報も多いです。



本は、回りくどい。

もちろん今でも、有意義な内容を発信している本もあります。

しかしそれでも、本を読むことはあまり有意義になっていません。

なぜかと言えば、本というのは、表現が回りくどいのです。

本来なら10ページ程度で伝えられる内容の物事を、本は200ページで書きます。

これは、本として体裁を整え、1,000円以上の価値あるものとして認識してもらうには、たくさんのボリュームが必要だからです。

そのために、要約すれば10ページで済むはずの話題に対して、わざわざ前書きを付け、起承転結を付け、余談を挟みます。

読者は、1の知恵を得るために10の文章を読まされているのが実情です。効率が悪いのです。


たとえば、「占星術は実はあまり当たらない」と気づいた作家は、それを200ページの本にしたためます。読む人はそれを20時間もかけて読まなければなりません。

しかし、そのような内容について、当サイトの管理人様はものの10行で端的にまとめます。理由や証明も含めて、10行で収めます。

インターネットで記事が配信される時代、このように、本を読むよりもネット記事を読んだほうがずっと効率のよいケースが、五万とあります。



本の作家のほうが文章力は高いが、わかりやすさはネット記事のほうが勝る。

「本として出版されたもののほうが文章力が高いから、本で情報を仕入れたい」と考える人も多いことでしょう。

たしかに本の作家のほうがしっかりとした文章作成能力を持っています。語彙が多く、ウィットに富み、そして編集者によって入念な校正が入ります。

しかし、ネット記事のほうが勝っている部分もあります。

アフィリエイトサイトが隆盛する2010年頃から、情報サイトはますます乱立するようになりましたが、その競争激化の影響から、「読者に好かれる文」の研究と徹底が進んでいます。

小見出しを読みさえすれば内容を把握できる記事が、ネット記事には多いのです。

情報を得るということにあたって、ネット記事のほうが端的な回答が得られるようになってきています。

ネット記事はでたらめも多いのですが、実はそれは書籍とて同じです(特にスピリチュアル業界は、書籍もでたらめな情報ばかりです)。



有意義な小説など、もうほとんどない。

本を読むことは、文学的な感性や違う人の人生を知るために有意義なのだ、と主張する人も多いことでしょう。

それもたしかに正しいです。人は小説を読むことによって、まるで異なる職業や境遇の人の気持ち、苦悩、感動などを知ることができます。

そのために多くの小説を読むことは有意義なのですが、しかし、それももう飽和しすぎました。

一体、不倫の葛藤を描く小説は何万冊あるのでしょうか?あなたはもうすでにそうした内容のものを10冊は読んでいるはずで、不倫する人の脆さも言い分も知っているはずなのです。それなのに同じような内容の本を読んだところで、あまり意味はないのです。

小説業界は今やほとんど同じような内容のものばかりで、主人公や彼の職業や住んでいる町が違うだけです。そうしたものを何冊も読んでも、あまり有意義とは言えないのです。娯楽としての価値は否定しませんが。



視野の狭い人、読解力の乏しい人は、読書が有意義と言える。

読書の本来の意義に立ち返りましょう。

見識を広め、読解力を磨くために、読書は有意義です。

クイズ番組のおバカタレントのような、世間をあまり知らず、読解力に乏しいような人にとっては、読書は有意義です。「活字の本なんて嫌い」と言っている人は、児童文学程度の易しいものでも良いので、読書をしたほうが良いです。

つまり、お子さんなどには積極的に読書を勧めましょう。「モモ」くらいは読破できるようになったほうがよく、活字だけのそのような本でも内容を理解し、「面白かった!」と興奮できるような子に育てましょう。



本の好きな人に、読書はあまり有意義でない。

あなたがすでに読書好きで、活字だけの本も苦にしておらず、でも「読書は有意義だから読まなくちゃ!」と考えているなら、あなたにとって読書はあまり有意義ではないです。あなたにはあまり読書は必要ありません。

何か情報を得たいなら、ネット記事を探すとよいです。大抵のことはウィキペディアが精度よくまとめてくれています。ウィキペディアで物足りない、または難解すぎるなら、一般向けの情報サイトの中で質の良さそうなものを見繕って読みましょう。あなたはもう、欲しい情報を得るのに1,500円払う必要がないですし、5分で事足りるようになります。

情報のためではなく、「有意義な時間の使い方をしたい」「自分を高めたい」という欲求なら、芸術や運動の趣味を持つなど、読書以外のことに目を向けてみましょう。そのほうが有意義ですし、あなたをたくさん成長させます。

本を買わずにその分のお金をためて、海外旅行にチャレンジしてみるのもおすすめです。



ネット記事も無駄に長くなってきているのでご注意を。

ちなみに、無駄に文章が長くなっているのは、書籍だけでなくネット記事にも同じことが言えます。

これは、SEOの問題です。検索エンジンの上位に表示されるようにするためには、文字数の多い記事のほうが有効なのです。こうした実情があることから、特に検索からの流入で運営されているサイトは、各記事の文字数が多い傾向にあります。ホームページ作成のハウツーサイトなどが、どの記事も1万文字以上になっているのは、このためです(彼らはSEOの知識と技術に長けます)。

私れなの書く、ツインレイの記事やインディゴチルドレンの記事がやたら長いのも、そうした事情があります。おかげで旧サイトでは、「ツインレイ」「インディゴチルドレン」と検索すれば、検索結果第1位に表示されていました。

だから管理人様はときどき、長文の苦手な人でも読みやすい、簡易バージョンの記事を書いてくださるのです。

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